子供は親を選べない
8月 20, 2024
人は、それぞれに
今回の人生に課した学びを
得るために
自らが選択した容姿と環境の元、
生まれてきているといいます。
「子供は 親を選べない」
と 言われてきましたし、
わたし自身も
そう思ってきました。
けれど そうではなく
「今回は、このテーマを学ぼう」
という自らの意思を持って、
その学びに適した親を選んで
生まれてくるようです。
それは、前の人生で(過去生)
充分に学べなかったことを
課題として 生まれてきます。
その課題がカルマというもの。
カルマと聞くと、
何やら うさんくさく、
何やら うさんくさく、
因縁めいた
悪しきものに聞こえますが
悪しきものに聞こえますが
学校で言えば、
及第点を取れなかった科目。
及第点を取れなかった科目。
そのように
捉えていただければ判り易く、
捉えていただければ判り易く、
なじみやすいと思います。
未だ及第点に
届いていない科目ですから、
届いていない科目ですから、
今度こそ合格すべき科目です。
そうでなければ、
いつまでたっても卒業証書を
手にすることは出来ません。
いつまでたっても卒業証書を
手にすることは出来ません。
カルマをクリアしていくためには
日常の中にある課題を意識して、
向き合っていくことが大切。
注意深く観察していると、
日常の中にひそむカルマに
気づくと思います。
気づくと思います。
カルマは1つだけ、
ということはなく、
ということはなく、
その多くは複雑に絡みあって
存在しているから。
存在しているから。
カルマは、
普段は なりをひそめていますが、
普段は なりをひそめていますが、
長い年月をかけて
徐々に正体を現すのが カルマ。
そのカルマが
その人の人生において
その人の人生において
長い時間をかけて支配し、
左右していきます。
左右していきます。
そうやって
支配していくことで、
支配していくことで、
カルマであることを
気づかせるのでしょう。
気づかせるのでしょう。
そして あるとき、
スイッチが入ったかのように
起動し始めるんですよ。
起動し始めるんですよ。
音は、聞こえないんだけどね。
それは、たとえば、
誰かの発した ひと言であったり、
誰かの発した ひと言であったり、
何か、のがれられない状況だったり、
何度となく
繰り返してきたことだったり
するでしょう。
繰り返してきたことだったり
するでしょう。
内なる強さを試すカルマは、
何度もやってきて、
あなたを試してくれるわけですよ。
あなたを試してくれるわけですよ。
それは、闇との対峙。
抜け出したいのに抜け出せない闇。
どこまでいっても続く闇に、
時に息切れがし、
投げ出したくなるかもしれない。
投げ出したくなるかもしれない。
けれど、
自身のカルマと
向き合う勇気がもてたとき
向き合う勇気がもてたとき
それが陰(ネガティブ)陽(ポジティブ)
統合への最短コースになっていきます。
人の意識の中にある2つの陰と陽。
ネガティブが悪いもの、
として排除するのではなく、
として排除するのではなく、
ポジティブを支える
要素でもあることを
認めること。
要素でもあることを
認めること。
ネガティブを
排除することに努めていると、
排除することに努めていると、
そのバランスを崩しますからね。
ネガティブになると、
自分がどうなるのかを
自分がどうなるのかを
考える機会を
与えてくれることになり、
与えてくれることになり、
結果、
それが学びにつながっていきます。
それが学びにつながっていきます。
陰と陽は相反する要素でありながら、
互いを成り立たせています。
どちらが欠けても存在しえないもの。
表裏一体の光と闇。
世の中は
今、すさまじいほどの勢いで
今、すさまじいほどの勢いで
進化と変化の一途を辿っています。
その時代の波の上昇に乗り、
霊的な進化を遂げるためには
自分自身の内にある、
この2つの陰陽統合に
この2つの陰陽統合に
取り組んでいくことが
今、多くの人に
必要なことなのだと思います。
今、多くの人に
必要なことなのだと思います。
なかなか腰が上がらないだけに
お知らせも、サインも
お知らせも、サインも
繰り返し、やってきますが。
そこで気づいて、
やっていくことが
やっていくことが
悟りへの最短距離なわけで。
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