神との折り合い
8月 19, 2024
「ばか者」というのは
相手を からかったり、
立場を低く見なす事で
人格を否定したり、
侮蔑したり、
相手の感情を損なうときに
使われる 卑語・俗語として
使われることが多いですよね。
また。
知識や思慮が足りない、
理解の度合いが足りない。
と いった場合にも
使われたりします。
けれど、
そういう単純な意味ではなく、
ギリシャ語の原語 モロスは
「神との折り合いが悪くなった人」
という意味なのだそうです。
そこで。
神との折り合いが悪くなった人、
と いう言葉自体、
どういうことなのか?
と、いう疑問が起こりますよね。
それは、おそらく。
人と、神の間に立って、
割り込む。
自らが、
まるで神であるかのように
振る舞ったり、
そういう行いをする。
という意味なのだろうと
思います。
人は、あくまで 人 であって、
神であるかのような振る舞いをしない。
ということではないかと。
つまりは、
他人の心の中の想いや
真理というものは
誰も知らないものだからです。
また、
そんなに簡単に知られることもなく、
理解できるものでもないと思うのです。
そういった意味からも
他人を告発したり、
批判をしないこと。
これには、中傷といったものも
含まれるかと思います。
わたしたちは、
だれしも間違いをおかします。
創造主である神に似せられて
わたしたちは皆、形づくられ、
この世に生まれてきますが、
全てに完全で、完璧である。
などという人に、
だれしも未だかつて
出会ったことなどないと
思うからです。
以前の知人に
「自分が知らないことに対しては
何も言えない」
と 言った人が居ましたが、
おそらく、その人は
そのことを言っていたのだし、
それを知っていたのでしょう。
よく知りもしないことを
自分の見解で批判したり、
評価しないことは大事なこと。
仮に、
熟知・精通していたとしても。
言葉たるもの、
使い方を間違えれば、
たとえ、耳かき一杯ほどであっても、
相手に生涯、消えない心の傷を
負わせることもありますし、
死に至らしめるほどの
力さえもある、言葉。
それだけ、言葉というものには、
刃(やいば)が ある。
他人に不快な思いを
させないためにも、
壊れ物であり、
取扱い要注意物である言葉と
共棲していきたいものです。
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